クレジット社会でGo(試運転

Mr.Childrenに憧れて→上京→挫折→サラリーマン→FP2級。オペラ歌手の奥さんのマネジメントしつつ、プログラミング勉強中。いずれマッサージ師なってみたい。 https://valu.is/kimu2

「なんか最近つまんないな」と思っている時に読むブログ

どーも、木村ツカサです!VALUやってます(広告)

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遡ること7ヶ月前、去年のクリスマス12月25日に、僕は半ば衝動的にMacBook Airを買い、そしてその日にProgateっていうオンライン学習サービスへ登録して、プログラミングの勉強を始めた。

 

「全くの無知のジャンルについてでも、簡単に学べる時代が”今”来ている」

 

とか、

 

「ハイセンスなWebページ作って悦に浸る」

 

とか、

 

フリーランスになって好きなことして暮らせたら素敵だな」

 

とか・・・・

 

ちょっと気取った理由をこじ付けたんだけども

 

あれから半年後、

 

今はそんな気持ちは全くありません

(´Д` )

 

やればやるほどに、

 

そんな生ぬるい世界じゃないってことが、十分にわかった。うん。

 

もう、奥が深すぎ。

次から次へと、新しい知識増えすぎ。

 

とどのつまり、追いつこうにも追いつけないって。全然。

 

とてもじゃないけど、片手間で覚えようとしている人間は、

本職にしてる人たちには 太刀打ちできない世界。

 

でも、そうと分かっても辞めずに、今もプログラミングの勉強を続けてる。

少しずつだけでも。バカみたいに。

 

自分でも、「不思議だなぁ」なんて思いながら続けていたんだけど、

 

とある本にこんな言葉があって、今日「あぁ、そういうことなんだな」って納得。

 

人間、年をとると、無意味なことをしたくなくなります。無駄に思うことをしなくなります。

 

目的のない行動をとりたくなくなります。燃費がやけに良くなります。

 

やってもないことを、知ったかぶりして、訳知り顔で評価し始めるのです。

 

参照:「若者よ、アジアのウミガメとなれ」より

 

10〜20代の頃、

 

「これは後々役に立つから、今頑張っておこう」なんて全く考えず、

 

「ただ面白いから」ってことで夢中になってたことこそが、

 

「むしろ今の自分を助けている。」

っていう事実

 

サンキュー、俺( ´ ▽ ` )ノ

 

例えば、口下手な僕は若かりし頃、何時間も携帯電話と睨めっこして、メールの文章を練りに練って気になる女の子へアプローチ。

 

送る前に一晩寝かせて、また一から作り直したりなんかして。

 

で、ここで磨いたスキルは、今仕事場でのメールの文章に活かされていたりするw

 

ここからまとめ入ります。

 

夢中になれることを見つけられたら、 それって本当にサイコーなこと。

 

もし今夢中になれることがなかったら、

 

「大人を気取ってる」だけ 

 

肩の力抜いて、深呼吸して、胸に手を当てて10分だけ考えてみましょう。

(うそ、10分も考えなくていいです) 

 

今、僕はこのブログを書き終えてから、プログラミングの勉強を無駄に頑張るわけです。

 

その時間とお金の投資が、将来的になんの役に立つかわからない、燃費の悪いことを続けます。

 

でも、たぶん今の自分が、将来の自分を助けるんじゃないかと、ある意味確信しています。

 

ウミガメにはなれないかもしれないけど・・・

 

自分が夢中になれたことが、誰かのためになれるんじゃないか

 

そう思えたら、内からエネルギーが出てくる感じしませんか?

 

↓「なんか最近つまんないな」と思っているあなた。ぜひこの機会に読んで見てください。

 そして、何かコメントくれたら嬉しいなと思います。

 

今(2017/7/30現在)Kindle版だと60%offになっているみたいです。

若者よ、アジアのウミガメとなれ 講演録

若者よ、アジアのウミガメとなれ 講演録

 

「分かり合えないな」って絶望した時に読むブログ

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木村一族のイケメン担当、某キムタクが主演を務めたドラマに「CHANGE」というものがあります。

 

2008年のドラマなので、もう忘れちゃった人も多いかな。

(興味ある人はググって見てくださいね)

 

簡単にいうと、キムタクが演じる教師だった主人公朝倉啓太は、突然衆議院議員だった父を無くして後継者として補欠選挙に出馬・当選し、総理大臣になるなんていう、まぁ分けわかんないストーリーです。

 

でも、このドラマの中でずーっと忘れられない言葉があって。

 

とあるアメリカの通商代表が、外交素人の朝倉に対して自国にとって都合のいいようになるような交渉を仕掛けてきて丸め込もうとしてきたシーンの中で、朝倉は相手に対してこんな言葉を投げかけた。

 

「言いたいことを言ってとことんお互いのことを考えよう。」

 

「その上で”分かり合おう”とするんじゃなくて、”自分と違う”ということを理解し合うことが大切」

 

なんていうか、冷静に考えるとふざけたストーリーで、むしろ笑えるくらいな内容だななんて思って見てたドラマの中だったものだから、この言葉にはドキっとした。

 

 

人は根源的に「分かり合いたい」という願望を持っているけれど、

(詳しくはエヴァンゲリヲン参照)

 

「分かり合える」なんて思うのは一種のエゴなのかも知れない。

 

「分かり合えるものだ」という前提に立ってしまうと、「なんで分かり合えないんだ」って苦しんで、最悪の場合相手に八つ当たりしてしまうこともある。

 

それよりは、「相手と自分の違うところはどこなのか」を正しく理解して、その上で自分の考えや気持ちが相手に伝わるにはどうしたらいいのか、そこで頭を捻らせて苦しんだ方が、よっぽど前進できるのではないかなということに気付かされた。

 

っていうことを↓の記事見てて思い出したっていう、今回のオチですw

 

相手を理解しようとしなくていい、大切なのは「否定も肯定もせず、ただ受け入れる」こと──茂木健一郎×山崎ナオコーラ | サイボウズ式

giveってもtakeがなくて悲しい時に見るブログ

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「give&give&giveで、たまにtakeがあるかも」

なんてことを某ホリエモンは言っていたりします。

 

しかし大前提として、自分のgiveの受容量と他人のgiveの受容量は全然違うってことに気がついてなかったんですよね。

 

これに気がついていなかったので、giveを繰り返してもそれがブラックホールに吸い込まれるがごとくのように感じることがありました。

 

  • giveってもgiveっても全然手応えない

  • giveられるのをあたかも当然だと思ってる人間がいる。

 

そんな風に苦しい思いをすることもありました。

 

でもそう感じる時、私はとても悔しいというかやるせないような気持ちが湧き出てきて、そうなる自分が嫌に感じていました。

 

でもさっき終バスを逃して、自宅から4kmも離れたバス停から歩きながら、ふと、気がついた。

 

「僕のコップは100giveで満杯になって、それ以上のgiveは溢れてしまうからtakeに変わるけど、人によってはそのコップがデカくて1000giveで満杯ってこともあるんだろうな」と

 

喜ぶかなと思って行う行為に対するリアクションが薄いなら、それはつまりgive不足

 

それなら僕が1000と感じるgiveをgiveすればいいということ。

 

そう思ったら、いい意味で諦めがついたというか、「わかった」というか

 

今、僕が興味持ってるVALUとかもそういう部分がすごい大事になってくるじゃないかなと

 

自分で言うのもアレですが、この考えって結構打算的だと思います。

でもいい。クレジットな社会ですから。

 

生きてく術、今はそう思ってます。